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呼び出し

「具合は,どげんですか?」

「熱は,下がったごたるです。明日は、登校出来るち思います。」

「そりゃあ よかったです。」



昨日 高二の娘が発熱して学校を休んだもんやんけん

担任の先生からの電話やったです。



「ご心配おかけしました。ありがとうございました。」

ちゅうて電話ば切ろうとしたら・・・



「あっ!お父さん!」

「はい?」

「あんまり良くなか話ばってんですね・・・」

「何かあったとですか?」

「実は お子さんの英語の成績がですね。今度の試験も芳しゅう

なかったですけん,こんままじゃあ進級にも支障が出て来っとですよ。」

「はあ・・・」

「そいで,今度の木曜日に保護者に来て頂いて,対策をご説明する

 こつになりましたので,是非お時間を空けてもろうて良かですか?」



要するに,ほんなこつは 呼び出しの電話じゃったとでした。



娘が悪かとに,えらい気を使こうてもろうて

何か申し訳無か気分でいっぱいになったとでした。



「ご迷惑ばかし お掛けして,すんません。必ず行きます。」

ち返事ばして電話ば切ったとですが・・・



もしかすっと,こげんか時でん逆ギレする

「モンスターペアレント」が,おっとかも(いるのかも)しれんですね。



先生達も大変だ!!!



お~っと!そげなこつ言うとる場合じゃ無か!!

進級出来んなら おおごと(大変)です!!!



高二の娘が この後どげんなったか・・・



ご想像にお任せです(苦笑)
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日光浴

北日本の方は

冬将軍の猛威がすごからしく

大雪らしかばってん




昨日の筑後地方は,お日様が出て

昼は,ぬっかった(暖かかった)ですよ。



そこで・・・久しぶりに CBば日光浴です。



CB750 K0



エンジンばかけてみましたが

最初 ちょびっとだけグズったもんの

わりと素直に かかってくれました。



エンジンば

よ~っと(よく)ぬくめて(温めて)やって

一時間ばかし,近所を走ってみたとですが

快調・快調!



これなら いつでんツーリングOKです。



春が来るまで まだ2ケ月はありますが

たまには ご機嫌伺いしとかんといかんですね。

昇段審査

50の手習いで

中学生以来の剣道を再開して

9ヶ月



来月の19日に 二段への

昇段審査を受験するこつになったとです。



実技の方は

二日に1回くらいの続けているJogと

週二回の 稽古で

身体が動くごつなって来たけん

まあ 大丈夫かな・・・



問題は,「剣道の形」です



五本目までの形ば 覚えにゃならんとですが

これが簡単そうで・・・なかなか なかなか

ましてや 二人一組で演武せにゃいかんけん

間合いが・・・なかなか なかなか



それでん

世の中便利になって

You Tube で配信されとるけん

毎日 稽古に励んどります



実際は木刀で 形をするとですが

家の中では振り回せんけん

「孫の手」を代わりにして・・・(笑)

奥さんと娘達に冷やかされながら・・・(苦笑)



自分達が中学生の時と違って

二段は 今は中学三年生で受験できるごつなっとるけん

当日は,元気か中学生の中に

ぽつ~んと おっちゃんが混じって

受験するごつなっとでしょうなあ~



気合いだけでは負けんごつしよ~っと

ルール その2

「ルール」を精神分析的に定義すっと

次の3段階に分類することが出来っとです。

1.「約束」

2.「規則」

3.「同意」

1から順を追ってまとめてみます。



まず 1の「約束」の段階です。

 この段階は,「子ども VS 子ども」が取り決めた
 
 ルールち定義されます。

 あたかも子ども同士が「明日遊ぼうね」ち

 「口約束」した様なレベルのルールのこつです。

 「口約束」みたいなもんやんけん,決めたことに対して わりと無責任で,

 簡単に破られてしまうし,たとえ破られてん,何のペナルティーも

 伴わんとですたいね。

 こんレベルのルールは 簡単な言葉で表すと「守れれば良かね~」

 ちゅう 言葉になっですね。



次に,2の「規則」の段階です。

 この段階は,「大人 VS 子ども」のルールち定義されます。

 ルールち言えば,この規則をイメージさるっ方が多かでしょ。

 身近なところでは,学校での規則や交通規則があっですね。

 こんルールは言わば,大人が子どもの行動を規制するための

 もんやんけん,子どもはスキあらば大人の目を盗んで破ろうと

 すっとです。大人はそれば防ぐために,罰則ば設けます。

 そいけん,規則が厳しくなればなっだけ 罰則も厳しくなり

 規制される方は,何とかして破る方法は無かかち考え,いわゆる

 「イタチごっこ」になって行きがちですね。

 こんレベルのルールは「守らなければならない」ちゅう言葉で

 表されるとです。

 
      
そして,最後が3の「同意」の段階です。


 この段階は,「大人 VS 大人」のルールち定義されます。

 この段階のルールは,自らが自らを律していくためのもんなんです。

 たとえ最初は,他人から押し付けられた2の「規則」レベルのルール

 やったとしても,一旦そのルールに自分が「同意」できた段階で

 このレベルのルールになっとです。

 つまり,一人の確固たる人格を有した 責任ある大人が「同意」したの

 ですから,他人からとやかく言われんでも,また 監視されんでも

 自らの責任においてルールを守っていくとです。

 ですけん,「同意」出来た人に罰則は必要無かです。何故なら,罰則が

 あるけん「しぶしぶ守る」とじゃなく,守らんと自分が気持が悪かけん

 「すすんで守る」とですから。

 こんレベルのルールは「守らずには おられない」ちゅう言葉で表されます。




以上が,ルールの精神分析的な定義です。



こげな風に考えて頂ければ,昨日の「安全パトロール」の問題も

簡単に整理するこつができます。



つまり,「安全・安心」の状態を維持して行くことに

全員の「同意」が出来ていれば,

一人ひとりが 自分の行動に「責任を持たずにはおられん」とですけん

事故の起こる確率は,限りなく「ゼロ」に近付いて来っとです。

それでん さらなる事故防止のために「パトロール」がどうしても必要かつなら

「やれ」ち命令されるまでも無く 進んで自発的に行われるこつでしょう。



口で言うとは簡単ですばってん,なかなか「同意」のレベルにゃ・・・

そいけん,形骸化して来とるち分かっちゃおっても

「安全パトロール」ば させんと

「安心・安全」を維持するこつが出来んとですなあ。  

「監視」のための「パトロール」じゃなく

「ミスを未然に防ぐ(カバーする)」ための「パトロール」で

あって欲しかもんです。 

ルール その1

「毎日の安全パトロール何か意味のあっとですかね?」

「何でや?」

「『異常ありませんでした』ちゅう報告ばっかしやんけん,

 異常無かとならパトロールやら無駄やろうち思うて・・・」

「ほんなこつ,そげん思うね?」

「違うとですか?」

「意識レベルがみんな『大人』やったら,パトロールやら

 必要無かろうね」

「・・・???・・・」



「何でパトロールせやんか(しないといけないか)ちゅうと

 危険な状態をほったらかしたり,片付けんやったり,

 つい見落としたりするこつがあるけんやろ?」

「はい」

「一つは,完璧ち思うとっても人間がするこつやんけん

 うっかりミスちゅうのはつきもんたいね。だけん,日々の

 パトロールでそれをカバーするったいね。

 それは,わかるやろ?」

「はい」

「もう一つは,残念なこつに,パトロールば無くすと手を抜く

 やからが出て来るったい。どっちかちゅうとこっちの方が

 意味合い的には強いとかもしれん」

「それもわかります」

「そういう意味では『カバー』するためのパトロールちゅうよりは

 『監視』するためのパトロールちゅうこつになるやろ。

 そこで『異常』があれば『怒られる』けんきちんとする。

 『怒られる』のが嫌やんけん,きちんとする。

 そいけん,毎日『異常ありませんでした』ちゅう報告になる。

 わかるやろ?」

「はい」

「この状態は,精神分析的に言うと『監視する側が大人』で

 『監視される側が子ども』ちゅうこつになるったい。

 だけん,みんなの意識レベルが『大人』になれば

 本当は『パトロール』やら必要無くなるとよね。」

「・・・???・・・」



こんな会話を,長崎に向かう車の中で

いつものM君としたとです。



この会話のベースになる考え方は,「ルール」に関する定義です。



今日は時間が無くなったけん

明日 自分が知ってる限りの「ルール」に関する定義ば

まとめてみます。

不適合

自分らの仕事の中で

客先から図面で指示された通りではなく

間違って製作してしまうこつを「不適合」ち呼びます。



限られた予算の中でする仕事やんけん

当然「不適合 0」ば目指さにゃなりません。



そのあっちゃならん「不適合」が 昨日起こってしまいました。



幸いにして 仕事を始めたばっかしの段階での「不適合」だったため

やり直しが可能で,半日程度のロスで済むとの報告でした。



長崎の客先からの仕事でしたけん

報告に来たとは いつも一緒に営業に行くM君です。



「すみません,不適合が起こりました。」

「どげな不適合ね。」

「穴をあける位置ば間違えました。」

「間違えたとは?」

「ハイ。Kさんです。」

「どの程度?」

「全部で48か所ですけん,やり直しに半日くらいかかります。」

「Kさんは,前回も同じごたる間違いばせんやったね?」

「ハイ。続いてます。」

「どげんか対処ばしとったね?」

「前回も間違いのあったけん,間違いやすかとこば,さらに詳しか

 図面にして渡しとりました。」

「うん。それでん起こったったい?」

「ハイ。渡した図面のところは良かったとですばってん・・・」

「予想しとらんやったとこの間違いたい?」

「ハイ。」

「それで・・・?」

「・・・」
 


前回に続いての「不適合」の発生らしく

「しまった」「申し訳ない」が先に立っての報告でした。

それでん「やり直しの可否と時間」を把握して来たことは

ちょびっとだけ合格点です。



「問題は何ね?」

「ハイ。同じ人が起こしたこつです。」

「原因は?」

「図面ば正確に読み取りきらんやったこつです。」

「そんなら,改めて・・・問題は何ね?」

「・・・」



「人間のするこつやんけん,ミスはつきもんたい。」

「ハイ。」

「ばってん,ミスはゼロを目標にせにゃならん。」

「ハイ。」

「あんたなりの配慮ばしとったばってん,同じ人が

 また同じごたるミスば繰り返したこつになるよね?」

「ハイ。」

「そんならここでの 問題は二つ!

 一つ,何でそん人にさせたね?

 一つ,そん人にさせるなら,穴ばあける前に何で確認ばせんやったね?」

「・・・」




「『人ば信用すんな』ちゅう訳じゃなか。ばってん,前回,『二度と同じ

 間違いが無いように気を付けます』ち報告したとやろ?

「ハイ。」

「そんなら,そりゃあ実行されんかったとやんけん 『かけ声』だけたいね。」

「ハイ。すみません。」



「『すみません』はわかった。そんなら今回は,この問題にどげん対処すんね?」

「ハイ。二度と起こらんごと確認ば厳しくします。」

「それで?」

「・・・」

「そんなら,前と一緒じゃん。『すみません』と かけ声だけじゃ無くならんバイ」

「・・・」

「言葉に出来んちゅうこつは,あんたん中にイメージが出来とらんちゅうこつたい。

 イメージが出来とらんちゅうこつは,実行できんちゅうこつたい。」

「・・・」



「よかね,まず・・・

 不適合ば起こしたKさんに,何で間違えたかば再度確認せんね。

 そん時に,Kさんの上司にも立ち会わせんね。

 そして,その理由があまりに単純な理由やったら

 Kさんばこの仕事からはずす。はずす時は俺がKさんに言う。

 理由に改善の余地があったら

 作業のどのタイミングでどげなチェックばするか,上司に決めてもらわんね。」

「ここまで,よかね?」

「ハイ。」



「次・・・やり直しに半日かかるちゅうたね?」

「ハイ。」

「そんなら,その半日分ばどこで取り戻すか,具体的に計画ばせんね。

 そして,それば『不適合報告書』に明記せんね。

 書いたこつは,しっかり実行してもらうけんね。」

「ハイ。」



「最後に・・・

 こん位の『不適合』なら機能的に問題は無いばってん

 外観的にすぐわかるけん

 客先に 手直し前と処置後の写真ば送って,メールで具体的に

 原因と対処した内容ば 報告しとかんね。どうせ明日あいさつに

 行くけん そん時に報告とお詫びばするけんね。」

「ハイ。わかりました。」



人間がするとやんけん,作業には「不適合」がつきもんです。

それやんけん余計に 細心の注意ば払って「ゼロ」ば目指さにゃならんとです。



それでん「不適合」が起こってしまった時・・・



不適合は,内容によっては「すみません」では すまなくなってしまうとです。

ま~だやり直しの出来る時に,単に「すみません」ち言うとでは無く

原因を追究し,その対策を考えて 迅速に不適合処理にあたることが大事かとです。

そして,それと同じくらい大事かとがいかにして損失を最小限に くい止めるかを

考え,対処するこつであり,その習慣ば身につけさせるこつなんです。



特に,技術的なこつしか考えんもんは

やり直しの方法ばっかしに考えが行ってしもうて

そこにいくらの金銭的な損失が出るやら考えんもんが多かとです。



そいけん営業の自分に その処理が回って来たとでしょ。



ま~だ30を少し過ぎたばっかりのM君には

技術的な面はもちろんのこつ

一番大事か金目もしっかり意識して対処出来る奴に

成長して欲しかもんです。

火事

大寒を過ぎて 冬真っ盛り

当たり前ばってん 寒かですね~

今日は関東地区でも積雪したとか・・・



自分の地域では,空気がめちゃくちゃ乾燥しとる上に

寒かけん暖房も使うもんやけん

やたら火事が多かとです。



今朝も大きな黒煙が立っとりました

遠くからも火の手が見えとったけん

かなりの火事やったようです



みな様もどうぞお気をつけ下さい。



ところで



火事ちゅうと・・・



消防の方々のご活躍が頼みの綱なのですが



自分が教員やった当時

その消防のしくみと働きを4年生で教えていました。

(今はどうかわかりませんが)



当時(もう30年程前のことですが)は

身近な出来事を教材にできるごつ

いつもカメラを準備しとりました。



ある 今のごつ 寒~か晩でした。

まだ独身で実家に住んどりましたが

兄貴が消防団に入っているもんで

家には消防無線があったとです。



11時を過ぎた頃やったでしょうか・・・

突然,消防無線が火災指令をガナリ立てたとです。

場所は,走って5分の所でした。

すぐに カメラを持って現場に走ったとです



途中で 兄貴がチャリで追っかけてきて

「こら~あ!!俺よっか先に行くな~!!!」ち

怒鳴りながら追い越して行きました。



無人の店舗の かなりの火事やったとですが

消防の人も 消防団の人も

そりゃあ テキパキ キビキビ としとって

素早く確実な連係プレーで すぐに鎮火したとです。

見事な働きでした 感動でした



それに 教科書では

「火事の時は,消防の人たちの他に

 電力会社の人もガス会社の人も駆けつけます」ち習うとですが

ほんなこて駆けつけて来らしゃって(当たり前ですが)・・・

こちらも 電柱に登ったり,ガスボンベをはずしたり ち

テキパキ キビキビでした



こげんして 自分らの安心・安全ば守ってもろうとるやな~ ち

子ども以上に感激したとば よ~覚えとります。

ちなみにこの火事での人的被害はありませんでした。



ことが火事やんけん 喜ぶこつはできんとですが

やっぱ自分が現場を体験すっと,ばさろ良か教材研究ができるもんち

改めて実感したとでした。



ちなみに一所懸命写真ば撮りよったら

遅れて来らしゃった新聞社の人(毎日やったかな?)から

「ネガを貸して下さい」ち言われたもんやんけん

「よかばってん,教材で使いたかけん返して下さいね」ちゅうて

喜んで渡しました。



残念ながら,自分の写真は紙面を飾るこつは無かったとですが・・・

(消防の人やその他の人の働きば中心に撮っとるもんやんけん

 事件記事の写真とはアングルが全然違ったらしかです)

2~3日して 自分が撮った写真を現像・プリントしてくれて

教材として使えそうな写真を 他にもい~っぱい提供してくれたとでした。

日本人の心

法的なことや政治的なことには 全くの素人ですけん

自分の全く個人的な戯言として読んで頂ければ幸いです。



過去,確かに国民はもちろんのこと

周囲の国々の人々に大きな悲しみと犠牲を強いる 時期があった。



その反省のもと

日本は民主的な自由な国に生まれ変わった

主権は国民にあり,基本的な人権が尊重される国になった。



そして・・・



昨年,東北地方を襲った未曾有の大震災

しかし,そんな時にでも 秩序を乱さず 思いやりの心を忘れず

互いに助け合うことのできる「日本人の心」を

日本国民そのものを

世界中が認め,絶賛した。



「国旗・国歌」は,間違いなく

このわれわれ「日本人の心」そのものであり,シンボルである。



主権が国民にある 今

戦時中に掲げられ・歌われた「日の丸・君が代」と

今,われわれが掲げ・歌う「日の丸・君が代」は

全く違うものになった。

「国旗・国歌」も生まれ変わった



この「国旗・国歌」を二度と悪用させてはならない。



この「日本人の心」を

世界に対してこれまで以上にアピールするためにも

過去の過ちの反省の上に立って

「言わねばならないことを,明言できる」力も

高めて行かねばならない。



だからこそ,

明日を担う子供たちに

世界に誇る「日本人の心」と

それを象徴し,われわれ一人一人を象徴しているのが

「国旗・国歌」であることを正確に伝え

最高の敬意と誇りを持って

「国旗・国歌」に臨むことのできる子ども達を

育てていかねばならない。

教育現場での国旗・国歌

採用試験に奇跡的に合格し


1983年 春

久留米市内の小学校に赴任出来た

赴任して10日目くらい・・・最初の大きな学校行事

新入生を迎える入学式がある



式場は学校の体育館

壇上には演題と生花が飾られ

背後には当然 国旗「日の丸」が掲げられる。

それが当たり前・・・ち思っとった。



そして・・・式の前日

学校全体が式の準備にとりかかっとった

そげな中 たまたま職員室の前の廊下を通っとったら

たたまれた「日の丸」と脚立を持った教頭とすれ違った



この教頭と言うのが

実は自分が小学生時代の恩師で・・・

後々は・・・自分が教師を辞めるまで校長として仕え

個人的には仲人もしてもらった 大恩人じゃったし

教師としてもいろんな指導・助言を頂いた 親父的な存在やったけん

親しみを込めて「ボス」ち呼ぶ間柄やった。



だけんちゅう訳じゃなく

単に上司が作業をしようとすんなら 手の空いた部下としては

手伝って当たり前じゃろ・・・ちゅう単純な発想で

ボスに声ばかけた



「国旗ば貼りに行くとですか?」

「うん。」

「良かです。自分が貼って来るですよ。」

「良かとの~・・・?」

「大丈夫ですよ。こんくらいちゃ~んと しきる(出来る)ですよ。」

「う~ん・・・」



珍しく な~んかハッキリせん態度のボスから

ひったくるごつして 国旗と脚立ば取り上げた。

そして・・・子ども達にも手伝ってもろうて

ぴしゃ~っと国旗ば貼り,気分良く職員室に戻った。



そん時になって,ボスが躊躇しとった理由がわかった。

いつもはKYな自分でも,すぐにわかるごたる異様な雰囲気やった。

そして・・・

一人の女性の先生が,つかつかつか ち 歩み寄って来らしゃって

おもむろに・・・

「○○先生。あんた自分が何ばしたかわかっとると!」

「はぁ?何ばしたって・・・?」

「体育館で何ばして来たと!?」

「国旗ば 貼って来たですよ。教頭先生が自分で すうでち(しようと)

 しとらしたけん(してあったので) 私が代わりにして来ました。

 それが,どげんかしたとですか?」

「どげんか・・・て 日の丸ば すすんで貼って来るやら とんでもなか。

 よ~そげんかこつばしきるね!(よく そんなことが 出来るね) 

 日の丸のためにどんだけん人が戦争で犠牲になったとか

 あんた勉強しとらんとね!?」



職員室内のほとんどの先生が,憎悪のこもった目で睨んどらした。



びっくりした!



良いこと・・・ちゅうよりも

部下として当然のこつばして来た ち思って帰って来たところに,

突然,怒りの矛先を突き付けられたこつには もちろん・・・



それ以上に

ほとんどの先生方が「国旗」と呼ばず「日の丸」と呼び

(そこには沖縄の人が,本土の人を侮蔑的に「ナイチャー」

 と呼ぶのと同じニオイが感じられた)

戦後30年以上過ぎても 「日の丸」こそ「侵略戦争」のシンボルとして

憎悪の対象にしとらっしゃる こつがわかったことに・・・



教員の世界ちゅうもんば 初めて垣間見た瞬間やった



当時は,「日の丸」「君が代」に関する法的根拠が希薄やったけん

大きな学校行事の前になっと

必ず「日の丸掲揚・君が代斉唱」を「する・せん」で職員会議が

長引いてね~ 連日深夜まで会議が続くこつも多かった。



そればってん,決まって最後は

「校長命令です。国旗を掲揚し,国歌を斉唱します。」

で会議が締められるっちゃんね。



そうすっと反対派の先生方が 口々にヤジを飛ばして

中には涙を流しながら抗議する女性の先生もいて

・・・これまた すごかった!



そげな状況が着任してから3年過ぎた。



そして,4年目の春。

教育委員会に出とった ボスが校長になって戻って来た。

そして4月1日 最初の着任挨拶の中で

「国旗・国歌に関してはいろんな意見をお持ちでしょう。

 しかし,それはご自分の住まれている地域で あるいは

 個人的なお時間の中で主張されて下さい。

 本校では,国旗を掲揚し,国歌を斉唱することについては

 これを決定し,議論の場も設けません。これは校長命令として

 先生方全員に徹底して頂きます。」



最初に ピシャーっとクギば刺さした(刺された)

全くもって同意見やった。「さすがボス!」ち思った。

おかげで,それからは学校行事の前の会議が短くなった。



当時の教育現場は,そんな状況やったとです。 

日本人として

いきなりですが・・・



自分が日本人であるこつば

明確に意識せらっしゃったこつがありますか・・・?



昨日書いた「国歌・国旗」の話ば先に進める前に

自分が日本人であるこつば明確に意識したエピソードを

まとめてみます



先日 「共通1次」で書いたごつ

1979年 琉球大学に進学しました



当時の沖縄は,

1972年に本土復帰し 

1975年に海洋博覧会が開催され

1978年に道路が右側通行から左側通行に変わった ばっかしの頃やった。



大学のキャンパスも

今の「首里城」があるところにあって

毎日 守礼の門をくぐって通学しとった。



歴史的には・・・

海外との貿易で ばさろ豊かで平和な国だった琉球王国を

豊臣秀吉が攻め その後 薩摩が侵攻して来て搾取し

第2次世界大戦では 日本の捨て石にされ

多くの民間人が犠牲になった。



そして 当時も

日本に駐留する米軍基地の70%以上が 沖縄に集中しており

沖縄の犠牲の上に 日本の平和があるような状態だった。



だけん,入学した当初 本土出身の先輩から

飲んだ時に注意を受けたつは

「沖縄の方言で

 沖縄の人を『ウチナンチュウ』ち呼ぶった。

 そして,俺たち本土の人間は,表向きには

 『ヤマトンチュウ』ち呼ばれとる。ばってんね

 多くの沖縄の人の俺たちを見る目は

 もうちょっと軽蔑した呼び方『ナイチャー』が基本たい。

 『ナイチャー』は,アメリカ人が『ジャップ』ち呼んで
 
 日本人ば馬鹿にしとったとと全く同じ呼び方たい。

 そげな目で見られよるちゅうこつば知っとかんといかんぞ!」

・・・ちゅうこつやった。



そして・・・3年生の時・・・



バイトで家庭教師ばしよった。

中1の男の子を教えよったとけど

スーパーば経営しよらした父ちゃん母ちゃんからも気に入られて

勉強が終わると 必ず晩御飯ばご馳走になったし

毎回 パンやらビールやら お土産ばいっぱいもらって帰りよった。



そげなある日



いつものごつ勉強が終わって

父ちゃん母ちゃんも一緒に晩御飯ば食べよる時に

何でかは覚えとらんとばってん

1975年に開催された沖縄海洋博覧会の話になった



そして,

戦後初めて沖縄を訪問され,ひめゆりの塔を参拝された

皇太子殿下(今の天皇陛下)ご夫妻に

数日前から塔の前の壕(鍾乳洞)の中に潜んでいた

沖縄出身の過激派学生が 火炎瓶を投げつけた・・・ちゅう話になった時



自分が,不用意に

「その学生の気持ち わかるですね。」ち言ってしまった



そしたら・・・



いつもは 優しくて明るくて

それまで1回も怒った顔を見せたこつのなかった母ちゃんが

ボロボロ泣きながら

「先生に言っても仕方が無いとやろうけど・・・

 ・・・あんたら日本人に・・・あんたら日本人のために

 私たち ウチナーの人間が,どんだけ辛い思いをしてきたと

 思ってると!?それなのに,簡単に『わかる』やら

 言って欲しく無い!!!」



最後は,ほとんど絶叫に近かった。



突然のことに 自分は ただ黙って頭を下げるしか無かった。



帰る時・・・いつものごとお土産ばくれながら 父ちゃんが

「先生,今日はごめんね。でも自分も同じ気持・・・

 特に,母ちゃんは自分の家族が あの戦争で・・・

 ひめゆりの塔の近くで犠牲になったから・・・よけいにね。」



それまでは,あの戦争で日本が・・・

日本軍が アジアの多くの国を侵略して

その国の人々に大きな犠牲を強いて来た こつは

知識としては知っとった



そればってん

それが「日本人」の行いであり

間違いなく自分が「その日本人」ちゅうこつを意識したこつは無かった。



あの母ちゃんの絶叫は・・・間違いなく 沖縄の人たちの

「われわれ日本人」に対する気持ちやった



それだけにショックやった。



それから・・・「日本」という国を

そして自分が「日本人」であることを意識するようになった。



確かに あの戦争の当時

間違いなく「われわれ日本人」が

多くのアジアの国の方々に大きな犠牲を強いた。

そのことは,真摯に自分のこととして受け止め

二度と同じ過ちを繰り返してはならん。

決して 武力で相手の主権を侵す様な行為は

しちゃならん! 許しちゃならん!

これが「日本人」としての 自分の決意と言っても良か。



そのこつと

言いたこつを言わんととは 違う!

尖閣諸島といい 竹島といい 北方四島といい

都合が悪くなると すぐに過去を持ち出されて

黙ってしまって・・・



その根源に

日本人としての自覚の無さ・・・意識の欠如があるち 思うとです。

過去を償うためにも 今を生きる「われわれ日本人」が

謙虚さを忘れず でも堂々と胸を張って

「日本人」としての誇りを持って

生きて行かやん はずなんです。



そんシンボルが「国旗・国歌」ですけん

最高の敬意を持って臨まにゃならんち思うとです。



話が がばい重く かつ 長くなって来ました。

そして もうちょっとこの話題は続くとです。

ばってん

ブログを始めた時から いつかは

この話題をまとめてみたか ち思いよりました。



完全に自己満足の世界で

面白なかかもしれんばってん,

お付き合い頂ければ がばい うれしかです。

国旗・国歌

大阪の橋下市長による国歌斉唱時の起立命令



昨日報道された

東京都の国歌斉唱処分問題に関する 最高裁の判決



「独裁」のイメージが強い 

石原・橋下両首長の基本的な政策だけに

あんまし良く無かイメージば持っとらっしゃる方も おらっしゃるごたる・・・



もちろん いろんな考え方があって良か

思想・信条の自由は 憲法で保障されとるとやんけん

いかなる権力者も そん個人の自由ば奪うことは出来ん



ばってん,両首長が対象にしとるとは

あくまでも公立学校の教員・・・つまり公務員



そうなると話は違ごうて来る



たとえ公務員であっても,休日等の自分の時間に

自分の思想・信条に基づいて活動すっとは

それこそ,個人の自由であり だ~れも文句言えん。



ばってん・・・



公務員が公務中に その上司である首長からの命令を

個人の思想・信条を理由に 背くことが許されるはずは無か!



もし どうしても背くとやったら 公務員を辞職せにゃならん

それは民間企業をベースに考えれば当たり前のこつ・・・ち思う



そげん考えると・・・今回の最高裁の判決は

な~んかしっくり 来んとよね~



これは,あくまで自分の考えですが・・・

自分は 言うところの「右翼」じゃ無かです。

ばってん

「国歌・国旗」に対しては

最高の敬意をもって臨むべき ち思うとります。



ず~っと昔から・・・

(明確に意識したとは 大学生の時ですが・・・)

こげな考え方やったけん 大学の時・教師の時に

「国歌・国旗」に関するいろんな経験をしたとです。



良い・悪いは別にして 自分の経験を 是非 聞いてもらいたかち 思います。

明日から,何回かに分けてまとめてみます。

電話

かねてから営業をかけとった

客先に新年の挨拶を兼ねて電話した。

受付の女性が出るけん,会社名と自分の名前を名乗った。

「○○と申しますが□□事務長いらっしゃいますか?」

「○○様ですね,少しお待ち下さい。」



「もしもし,□□ですが。」

「○○です。今年もよろしくお願い致します。」

「○○さん?はあ・・・はい,よろしく・・・

 ・・・で,今日は何事ですか?」

「いえ・・・特別に用件があるわけでは無かですが・・・

 明日,ご都合がよろしければ新年の挨拶をさせて

 頂ければ・・・と思いまして・・・」

「明日ですか・・・? 忙しいもんねぇ~・・・」

「すみません。ご挨拶だけでもさせて頂ければ・・・」

「う~ん・・・わかりました。そんなら10時半にしましょ。」

「ありがとうございます。それじゃ10時半にお伺い致します。」



□□事務長は,ずいぶん前から知っとる人ばってん

あきらかに つっけんどんで 迷惑そうな口調やった。

いつもは,話しやすい感じの良か人なんになあ

何かおかしかね~ち思いよった。



それから 30分程して・・・



「□□ちゅう人からお電話です。」とのこと

 

「□□さん・・・???・・・」

さっきの電話の後やけん,断りの電話かいな・・・ち思いながら

電話に出てみっと




「○○さん?さっき私に電話した?」

「えっ?・・・はい,10時半ちゅうお約束ば頂いたですよ。

 そん後は しとりませんが・・・」

「やっぱ○○さんやったったいねぇ~!

 失礼しました~!

 最近,○○さんとこと同じごたる会社名のもんが

 しつこく売り込みの電話ばして来よっとよ。

 そいで,勘違いしてしもうて・・・」

「あ~ぁ! だけんですね。何かおかしかなあ~ち

 思いよりました。」

「やっぱね~。えら~い つっけんどんやったろ?

 ごめんね~。電話ば切ってから,何か気になって・・・

 受付の女の子に確認ばしたら・・・

 ほんなこて失礼しました~」

「いえいえ(苦笑)わざわざ すんません。

 忙しかごたるですね?・・・

 明日は,10時半で良かですか?」

「はあ~い!朝からず~っと待っときます。」

「ありがとうございます(大笑)

 よろしくお願い致します。」



今日,10時半に挨拶に行ったら

ま~だ恐縮しとらしゃった。(笑)

こっちが営業かけよっとやんけん

向こうがお客さんばってん・・・



おかげで(?)・・・商談成立です!



電話は相手が見えんけん,気をつけんといかんね。



それにしてん・・・

冷たく 事務的に つっけどんに言う時は

言う方も,受ける方も 標準語になるけん不思議やね。

共通1次・・・その結果

1979年 1月13・14日に実施された

第1回 大学共通第1次学力試験



一浪した自分は

教員免許を取得することをめざして

この最初の“共通1次”にトライしたとです。



こん時は,ま~だ どこの大学に行くとか・・・

・・・行かるっとか・・・は,全く白紙やった



翌15日の朝刊で さっそく自己採点。



結果は,5教科 1,000点満点中 595点(笑)

6割に届かん成績で,ほんなこて 行かるる大学の

あるかどうか・・・かなりビミョ~やった。



そこで,翌16日 予備校の進路指導の先生に相談。

「何点やったね・・・?」

「はい。595点やったです。」

「・・・595点・・・う~ん・・・

 そいで,希望の学部は何ね・・・?」

「教育学部ならどこでん良かです。」

「教育学部・・・595点・・・あるかいな・・・」

「無かですかね?」

「ちょっと待ってんね・・・」

先生は,ガイドブックのごたる本のページば 一生懸命めくって

必死に探してくれました。

そんくらい立派(?)な成績やったとですね(苦笑)


・・・そして・・・5分程経過して・・・



この5分の長かったことが・・・(笑)



「あったよ!あった!」大喜びで教えてくれました。

「どこですか?」

「うん!北海道教育大学か,琉球大学教育学部・・・

 ここなら二次試験さえ失敗せんなら通るやろ。」

「北海道教育か琉球大・・・えらい極端ですね・・・(困惑)」

「しょんなかたい。頑張らんね。」

「はい・・・ありがとうございました・・・」



さっそく家に帰って 親父に相談しました。

「行かるるとこのあったか?」

「うん・・・あった・・・」

「お~ぉ よかったやんか!そいで・・・?」

「うん・・・北海道教育大学か,琉球大学の教育学部げな・・・」

「何て・・・北海道か沖縄?・・・そりゃまた・・・」

「どっちが良かち思う?」



ほんのちょっとだけ考えて・・・親父はきっぱり言いました!



「そりゃあ~沖縄が良かくさ!」

「何でや?」

「何でやち・・・着るもんのいらんじゃんか!」

「はぁあ!?」



台所でこのやりとりを聞いとったお袋が・・・

「私も沖縄が良か!・・・行ったこつなかもん!」

「・・・」



この両親の 極めて大マジメな 後押しがあって

琉球大学教育学部の二次試験にトライするこつが

決まったとでした。(大笑)



そして・・・



「二次試験ちゃ何があっとか?」

「うん。小論文だけ。」

「小論文ちゃ・・・作文やろもん?」

「うん。そげなもんたい。」

「そんなら特別勉強すっこつは無かね・・・」

「そうね。」

「よし!明日から免許ば取りに行け!」

「はぁあ?」

「今からなら2月には免許の来るたい。

 2月が一番忙しかけん トラックに乗ってもらわにゃん!」



ということで,車の免許を取得し

二次試験のための3日間以外は,2月から3月末まで

しっかりトラックに乗って 親父の仕事を手伝いました。



その甲斐あって(?)

無事 琉球大学教育学部小学校教員養成課程に 合格したとでした

めでたし めでたし

大学入試センター試験

昨日今日実施されとる

大学入試センター試験



この入試制度がいつ始まったか知っとる?



最初は,共通一次試験ち言いよったとばってん

1979年に始まったったいね。



自分が高校3年生やった1978年までは

国立大学には1期校と2期校があって

試験日が違っとったけん

2校受験できたとよね



そいけん現役ん時は

1期は長崎大の教育学部

2期は福岡教育大学を受験したったい。



ところが ところが

次ん年から共通一次試験が

始まるちゅうこつで

最後の1期・2期別々の入試に浪人生も殺到して

すごか倍率やった。



何せ,それまではせいぜい2~3倍の倍率やった

福教大が14倍に跳ね上がったくらいやんけん・・・



勉強不足の自分には 言い訳にもならんやったばってん

当然のごとく両方とも不合格



そいけん 一浪して 翌年の1979年

浪人生にはかなり不利やろう ち言われた

初めての共通一次試験を受験せやんごとなった



一浪しても対して学力の上がらんやった自分には

志望校がはっきり決まらんままの受験やったけん

何か 妙な感じやった。

ばってん・・・

経済的に国立しか行けんやったし

とにかく 教員免許さえとれれば

学校はどこでん良かち思いよったけん

とにかく二日間の試験ば受けてから学校ば決めよ~

ちゅう感じで受験した とば よ~覚えとる。



目的がはっきり決まっとった自分には,

ラッキーな受験制度やったとかもしれん。



その結果・・・

とにかく琉球大学の教育学部に合格したとばってん

何で琉球大学になったかについては

また明日詳しくご報告します(笑)



あれから33年

制度は改正され

一部の私立大学も利用するごつなって来た センター試験

今年も寒い中 多くの学生がトライしとる



願わくば

将来の明確な目的のための受験であって欲しいものやね

やりがいが・・・

北九州の挨拶回りから帰って来ると



机の上に メモ書きが2通



どっちも昨年歩き回って開拓してきた

客先からの連絡



1通が大阪で もう1通が東京



さっそく電話してみると

両方とも見積の引合やった



しかも・・・

2社とも半分以上あきらめとった客先で

2社とも値段さえ合えば発注可能とのこと



もちろんそれが一番の問題やし

難しかとは わかっとるばってん



試しの見積ばっかしで

実績につながらん引合やったとから比べれば

大きな大きな前進



これからが勝負ばってん

めちゃくちゃ やりがいが出て来た



やっぱ今年は よか年になる!

もとい! よか年にする!!!

事故解決

昨年末の次女の事故

ようやく結論が出たとです。



結果は 過失割合 5 対 95



こっちに停止線は無かったとは言え

互いに動いている状態での事故やんけん

0 対 100には ならんのやて



まあ 娘のケガも打撲程度やったし

オートバイも修理できるちゅうこつやんけん

すべて保険屋さんにお任せにしました



コメントを頂きました みな様 ご心配おかけ致しました。

ありがとうございました。



それでん ま~だ納得いかんとは 相手方のおばちゃん!

ほとんど言い訳のごたる電話が1本あっただけ・・・



自分が反対の立場やったら ち考えゆっと

とて~も 信じられん!



それでん



自分が加害者になるこつが無かごと(無いように)

安全運転!安全運転!

新規事業

新たな事業へのトライ



○ 部品を輸入して加工し

  メーカーとして販売を開始するか



○ すでにメーカーとして販売をしている企業と

  代理店契約を結んで販売を開始するか



前者のメリット

1.自社で価格設定できる
2.粗利が大きい
3.テリトリーが無い

前者のリスク

1.品質保証がつきまとう
2.メンテナンスがつきまとう
3.販売促進に必要な資料・グッズを自前で準備
  しなければならない
4.在庫及び在庫管理が必要
5.大きな初期投資が必要
6.営業先は自力で開拓しなければならない



後者のメリット

1.品質保証はメーカーが請け負う
2.メンテナンスもメーカーに任せる契約が可能
3.販売促進に必要な資料・グッズはメーカーから
  支給または購入
4.在庫管理は必要だが,販売に必要な数量のみ
  仕入れることが可能
5.初期投資は,小さく抑えることができる
6.営業先の開拓にメーカーの力を借りられる

後者のリスク

1.自前で価格設定できない
2.粗利が小さい
3.テリトリーが決められる



まだ,他にもメリット・リスクがあるかもしれんばってん

おおかたこん位考えれば

自ずとどちらの道ば選んだら良かか決まって来る



今は,ハイリスクにはトライできん

粗利は小さくてん販売数でカバーは可能

テリトリーも販売実績で拡大すっこつが可能



ちゅうこつで・・・



小さく始めて,メーカーの力を借りながら

徐々に大きくしていく道に決めた

沖縄

長女の卒業&就職のお祝いで

沖縄へ行ってきました。



仕事で都合のつかなかった長男を除いて

奥さんと娘二人を連れて・・・



自分にとっては里帰りのごたるもんです。



これまでにも何回も連れて行っとるとばってん

いつもは自分が仕事を兼ねて行くもんで

自分は仕事 奥さんと子ども達はリゾートホテルでビーチ遊び

ばっかしでした



そいで,今回は長女のリクエストもあって

二泊三日 ゆ~っくり

自分の知っとる沖縄を

自分の考えたルートで案内したとです



ドライバーとガイドに徹したもんで

写真はありませんが・・・



米軍の訓練に辺野古の海岸 北部のひなびた食堂

おきまりの 美ら海水族館・パイナップル園・万座毛

最近 けっこう有名になった海中道路にハンビータウン

公園化されて大学の面影はすっかり消えた 首里城近辺

懐かしのジャッキーステーキハウスに公設市場

海岸線がきれいな知念半島



奥さんと娘達のリクエストに応えて

北部・中部・南部をくまなく

それぞれゆ~っくり見て回りました



こんだけ見て回ったとは

学生時代 以来かも



自分が学生でいた頃とは

道路が格段によくなって

ばさろドライブしやすくなっとったとには

改めてビックリでした



やっぱ沖縄はよかですね

リタイヤしたら沖縄に移住したか~!ち

強~く強~く感じた3日間でした。

有明フェリー

新年の挨拶まわりで

長崎から諫早を回って

有明フェリーで、熊本県の長洲に向かっとります。



今、波穏やかな有明海を航行中で~す。



約40分の短かか船旅ばってん

たまには、船もよかもんですね。

雲仙普賢岳も見えて、風景もバッチリ!

スマホで書いとるけん、写真のアップロードば

しきらんのが残念。



朝は、ばさろ寒かったばってん

風の無い船内は、暖かい陽射しを受け取て

ポカポカで、よか気持ちです。



仕事ば忘れそ~!

大当たり!

今日から仕事始めです。

あっと言う間の年始休暇でした。



そうそう

1月2日・・・初JOGをした後・・・

奥さんから「買い物 夕方までかかるよ」とのTELがあったけん

ひさ~しかぶり(ちっご弁では「久しぶり」をこげん言うとです)に

パチンコ屋に行ってみたとです。



ほんなこて ひさ~しかぶりやったけん

ほとんど知らん機種ばっかりでした。



そん中でもパチスロの「北斗の拳」が目につきました。

もう何年か前の「北斗の拳」はしたこつがあったけん

こればしてみろかな・・・ち思ったとですが

お客さんでいっぱい!

「正月早々やけん 出らんやろな」ち思いつつも

唯一 空いとったとが「707番」で

な~んか良か番号のごたる気がして・・・



とにかく座りました。



前は・・・チェリーやスイカが出るとチャンスやったもんな~

くらいの知識しかなかけん

何が何なのかよ~わからんまま 5千円使ったところで

突然 大当たりのごたる画面に・・・



それが,定番の「7」がそろったわけでも無かとよね

それでも,ボーナスが続いて・・・わけわからん・・・

まさしく「ビギナーズラック」じゃったとです。



それからもしば~らく続けて・・・出たり入ったり



結果的に5000円の投資で2万4000円のBACK!

少々やかましかったばってん,十分楽しめて,1万9000円もお年玉をGETでした。

もちろん・・・奥さんには「過少申告」しとります(笑)



昨晩は,きっちり外食に連れ出され

奥さんと娘二人にご馳走しました・・・



新年早々のラッキーデー・・・やっぱ今年は 良か年よ!

お初

年末・元旦 割と温暖やった天気が

今朝は一変 

小雪がチラホラ・・・初雪!



今日は初売りに出かける 奥さんと娘達の運転手で

福岡の天神まで付き合う予定で出発したとばってん

近くの広川IC~大宰府ICまでが

雪のため この冬 初の通行止め



それでん奥さんと娘達は 電車で初売りに・・・執念!(笑)



せっかく今年初の奥さん孝行からは 免除された(笑)けん

今年の初JOGです



いつもの6kmコースを

いつもよっか ゆっくりしたペースで

今年も元気な身体でスタートできるこつに感謝しながら

楽しくJOGできたとです。



やっぱり

今年も いい年に なるゾ~!!!



本日の走行 : 6km

時  間    : 33分24秒

迎春

つつがなく新春を迎えることが出来ました。



昨年8月に始めたこのブログ

書くことの難しさと楽しさを改めて気付かされとです。



今年も自分なりに感じたことや考えたことが中心になるばってん

その都度,文章に綴っていくことができれば ち考えとります。



ちっご弁での綴りで読みにくかかもしれんばってん

お付き合い頂ければ幸いです。



本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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